1952年度 (昭和27年度)

提供: 五中・小石川デジタルアーカイブ
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できごと

憲法発布記念大会で籠球部がブロック予選優勝。関東大会に出場し二回戦敗退。[1]

4月 3年生修学旅行(於:京都)(予定)[2]

4月 紫友会誕生[3]

5月4日 全国初の中国文化研究会が発足。[4]

5月13日 「小石川高新聞」第9号発行[3]

5月29日 難航していたクラブ細則が自治会で成立。[1]

6月5日 「小石川高校新聞」第7號発行[1]

6月15日・22日 放送研究会が高放連主催による放送劇コンクールに木下順二作「夕鶴」「浮浪の涯」の2作品で参加(予定)。[1]

10月1日 「小石川高校新聞」第8號発行[4]

10月1日 戦後初の大異動発令により、真田教諭が都立多摩高校、成田教諭が都立板橋高校の校長として栄転。[4]

10月 創作展(隔年制になり初)[5]

10月8日 文藝春秋新社社長池島信平氏を囲んで座談会「戦火を恐る欧州」(於:校長室)[5]

10月15日 レントゲン再検査を120名が受診。10名が胸部疾患(結核)と診断され、うち2名が即刻休学を命じられる。[5]

10月18日 運動会(於:駕籠町グラウンド)[5]

10月26日 「小石川高校新聞」第9號(創作展特集号)発行[5]

10月26日 創作展[6]

11月16日 演劇研究会が都下高校演劇コンクールで小林君作「風車」を上演(於:牛込公会堂)[7]

11月30日 音楽研究会が東京都高等学校音楽連盟主催の音楽祭に混声合唱「天地創造」で参加(於:新宿文化服装学院)[7]

12月10日 「開拓」第39号発行[8]

12月10日 昭和28年3月上旬に2年生修学旅行を行うことを決定(於:関西方面)[7]

12月24日 「小石川高校新聞」第11號発行[7]

2月23日 「小石川高新聞」第10号発行[9]

3月6日 卒業式(予定)[9]

3月14日 合格発表(予定)[9]

3月24日 修業式(予定、修了式?)[9]

スキー教室開始[10]

逐年一年生写真帳

プライバシーに配慮して低画質版を掲載しています。高解像度版は同窓会事務局で保管しています。閲覧希望の同窓会会員はご自身の卒業年次クラスと氏名とともに同窓会事務局までお問い合わせください。


関連項目

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 「小石川高校新聞」第7號:昭和27年6月5日
  2. 「小石川高校新聞」第6號:昭和27年3月10日
  3. 3.0 3.1 「小石川高新聞」第9号:昭和27年5月13日
  4. 4.0 4.1 4.2 「小石川高校新聞」第8號:昭和27年10月1日
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 「小石川高校新聞」第9號:昭和27年10月26日
  6. 「創作」第113号:昭和56年7月20日
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 「小石川高校新聞」第11號:昭和27年12月24日
  8. 「開拓」第三十九號(昭和27年12月10日発行)
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 「小石川高新聞」第10号:昭和28年2月23日
  10. 紫友同窓会会報No.7_1979年(昭和54年)「旧職員だより」西中良夫氏の文章より